新社会人、東北でボランティアをす。前篇

2011年10月14日金曜日から16日の日曜日にかけて、宮城県石巻市でボランティアに参加してきました。具体的にはピースボート*1セーブ・ザ・チルドレン*2と地球の楽好*3というNGONPOのアクティビティに参加しました。勤めている会社が震災後に定期的に企画しているもので、自分で計画して全ての費用を負担するものではありませんでしたので、ボランティアとしてはとても優遇されたものだったと思います。ですので胸を張ってボランティアを完遂したとは言えません。そもそも、短期のボランティアはその場で続く長期的な営みのごくごく一部に参加するものでしかありません。しかし、それぞれが自分の置かれた状況で少しの機会を最大限に活かして、今生きている人を助けるという行為を最も直接的に行えるのはボランティアだと思いました。ボランティアを機会に部門を越えた交流が生まれたり、目に見える共同作業を通してチームワークを深めれば、会社にとってもプラスになるはずです。このような活動をする企業や団体がこれからも増えることを願っています。組織だからこその強みを発揮できますし、企業が持つお金と広報が力になることも多いはずです。まだまだ被災地は助けを必要としています。

●ボランティア前 〜ボランティアにはお金がいる〜
当たり前のことなのですが、ボランティアに行くにはお金がかかります。交通費や宿泊費だけでなく、作業に必要な道具や衣類(安全長靴、安全ゴム手袋、上下セパレートのレインコート、カーゴパンツ(ジーパンやジャージは乾きにくくポケットも使いづらい)、帽子、ヘルメット、防塵マスク、飲料水、抗菌ウェットティッシュ(食器洗い代わり)等)。ドンキホーテにはお世話になりました。かなり高価なものも含まれるため、作業終了後、私たちは安全長靴と安全ゴム手袋は洗ってピースボートに寄付しました。

●初日 〜なんだ旅行と変わらないじゃないか〜
金曜日、フレックスタイムを使って仕事を早く切り上げ、はやてで仙台へ向かいました。新幹線では「思想地図β2」*4という震災後の日本人の思想の変化を分析した、東浩紀さんが編集長の本を読んでいました。「被災地に行く」という気持ちが高ぶっていて、何か震災関連で刺激になるものを見ていたい心境だったからです。しかし、その気持ちとは反対に、震災後は関東圏も照明が少なくなっていることも手伝って、仙台に近付いても夜の新幹線からは被災地の情景を感じ取ることはできませんでした。仙台からのバスは既に会社によって手配されており、まるで旅行と同じように荷物を積み込んで出発しました。仙台から松島のホテルへ向かう道も、「意外と普通なんだな〜。照明も結構ついてるんだ」とか「明かりがなくなっても元から田舎だからかもしれないな」と被災地を実感できずにいました。松島のホテルは夕飯もしっかりしたものが出て、ゲームセンターも稼働していたし、なにより素晴らしい温泉がありました。少し異様だったのはホテルに宿泊しているのが日焼けしたいかつい方ばかりだったことです。皆さんボランティアの方々だったのでしょう。「ボランティアに来たのに意外と旅行と変わらないな。本当に被災した人たちの役に立てるのだろうか」と思いながら、初日は床につきました。

●2日目 〜津波の被害を初めて見る〜
早朝にバスに乗ろうとして驚きました。昨夜は気づきませんでしたが、ホテルの周りの地盤が沈下して、建物と地面に数センチの隙間ができていたのです。よくみると周辺の地面にも傷跡がそこかしこに見られました。2時間近くかけて石巻市雄勝町にある今回の活動場所へバスで移動する道中はそんな比ではない被災地へ近づく感じが景色から伝わってきました。海に近付くにつれ、大破した家屋、周りに大破した家があるゆえに存在が強調される無傷の家、未だに通行止めの壊れた橋、川の中に放置された瓦礫や壊れた船、ボディのほとんどがなくなった車、津波の影響か台風の影響かため池になってしまった土地、崩れる壁や電柱、津波に運ばれたバスが乗ったままの建物などがありました。それでも大きな瓦礫はこの半年で道路からは撤去されており、道路は復旧していたため、震災当初と比べると断然状況は良くなっていたとのことです。それでも、現状は依然として悲惨に見えました。


空き地に積まれた瓦礫

津波で流されたバスが屋根の上に乗っている

以前の雄勝町の様子を誠の記事が取り上げていました。このころと比べれば、確かに復旧は進んでいるようです。津波の脅威は正に想像を絶するものです。
相場英雄の時事日想・震災ルポ(4):奇妙な鉄の棒の正体は? 被災地で見たもの (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン

ボランティアの作業についても書きたかったのですが、本日はここまでにします。ご精読ありがとうございました。

我儘

もし、このブログに何かを検索して辿り着いた方、いつも私のツイッターを見てるけど、今 敏という方の作品に触れたことがない方、今日はどうか何も言わず、何かの縁だと思って今監督の作品を何か見てみてもらえませんでしょうか。推薦する理由は私が大好きだから、としか言いようがありません。でも、誰かが誰かに何かを勧める動機ってそういうものだと思うのです。今日はそこに正直に、ワガママに言わせてください。
今 敏監督は昨年の今日、8月24日に46歳の若さで亡くなりました。私にとっても大変辛いことでしたが、私よりずっと身近にいたご家族や同僚の方々の辛さは計り知れないものだったことと思います。しかし、時にはその辛さと闘いながら、時には辛さを辛さとしてでなく、よりポジティブなものになるように身近な方々が共有しながら、今監督の作品がきちんと残るようにKON'STONEという会社を立ち上げてくださいました。先日紹介させていただいた「千年の土産」という今監督の回顧展はそういった人々の誠実な営みから生まれたものです。お互いを敬愛し合う人達が繋がるべくして生まれた"縁"で繋がり、今 敏監督が文字通り人生をかけて創り上げてきた作品を待っている人のために行ってくださったイベントです。金銭や無理やりの需要喚起でなく、誠意と才能で紡がれた世界があるのです。
私たちの周りでは沢山の「悪影響の種」が転がっています。辛いと思うと人の視野は狭くなり、取るべき行動がわからなくなるものです。それを身を持って乗り越えた方々が作ってきた作品を是非多くの人に見て欲しいのです。そして、「悪影響の種」からも善意の花を咲かせて欲しい。これは本当にワガママです。そこまで押し付ける気持ちはありません。でも、作品を見て、きっと今 敏監督の作品からしか得られなかったものが何か生まれるはずです。今監督にはそれだけの才能があります。だから、どうか一つでも作品を見てみてください。お願いします。



以下Wikipediaの内容を改変した今 敏監督作品一覧

* PERFECT BLUE(1997年) - 初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。
* 千年女優(2001年) - ドリームワークスにより世界配給された。
* 東京ゴッドファーザーズ(2003年) - 先の『千年女優』と共にアカデミー賞長編アニメ賞候補作品に選出された(共にノミネート落ち)。
* 妄想代理人(2004年) - WOWOWで放送された。初のテレビアニメーション作品。
* パプリカ(2006年) - 公開に先駆け第63回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品。
* オハヨウ(2007年) - NHKの「アニクリ15 Third Season」で放送された。音楽はおかもとだいすけ、制作はマッドハウス
興味を持ってくださった方はこちらも覗いてみてください
今 敏 オフィシャル・サイト - KON'S TONE

「千年の土産」を見つけに。

昨年8月24日に急逝されたアニメーション監督、今 敏監督の回顧展「千年の土産」が新宿眼科画廊という会場で行われています。
http://konstone.s-kon.net/modules/gallery/retrospective.html
今監督が監督を務めた映画作品の絵や企画段階の線画をはじめ、今監督が最後に制作を手がけ、現在制作休止となっている映画「夢みる機械」のキャラクター絵、さらには今監督の大学生時代の作品も展示されています。8月24日まで行われていて、入場料は無料です。
今監督の作品の著作権管理などを行っている会社KON'STONEのブログで、公開後の「千年の土産」の様子もアップされています。
http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/342

私は個展の初日8月12日に行ってきました。初日は個展で限定100セット販売される画集を求めて開場時間の3時間以上前から人が並んでいました(かくいう私も並んでいました)。スタッフさん達のご配慮で、早めに整理券が配られましたが、開場直後は画廊前に行列ができる程の盛況ぶりでした。画廊は入るとすぐにこれまでの作品の絵がかかっています。入り口正面に位置する千年女優の走っている千代子の絵は、個展の大きな絵で見ると本当に動きそうな躍動感があります。そして、なんとなく日本女性を感じさせる独特のしなやかな凛々しさがあります。これからどこかへ行ってしまう・・・という印象の強い千年女優ですが、この千代子はこの個展のために駆けつけてきてくれたような感じがして、個展で一番眺めてしまいました。今監督が作品とは関係なくプライベートで描いた作品もあり、生まれてから絵を描いてしかお金をもらったことがないという生粋の絵描き今 敏の世界にどっぷりつかれました。今監督の絵は一つ一つに「演出」が施されており、写実的に物を描くのとは違った楽しみを自由に発見することができます。それには今監督が意図した演出もあれば、自分が気づいたオリジナルの演出もあるでしょう。時には今監督の思い通りに別の印象へ誘導されることもあります。一見した作品の美しさだけでなく、見れば見るほど面白さを感じられるのも今監督の絵の素晴らしいところです。同じスペースには線画の数々がありました。とても緻密な作風はそのままに、それでいて線の一つ一つが機械的な直線などではなく、柔らかい温かみのある線なのを眺め、作品にはきちんと今監督の作品への態度とそれまで歩んできた生き様がきちんと乗っかるんだなぁと感慨深く思いました。
奥の部屋には漫画部屋と呼ばれる、今監督が漫画家時代に描いた原稿や大学の課題と思われる漫画のポスターがありました。緻密な作風はそのままに、変な執着がなく、「こんなん思いついたけどどう?」とドサッと作品を見せてもらったような清々しさがありました。大学時代に作成したと思われるポスターが私はお気に入りでした。このアイデアは広告でそのまま使えるんじゃないかと思ったほどです。漫画部屋の雰囲気も公式ブログで公開されています(http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/313)。

漫画部屋の向かいには監督部屋と呼ばれているスペースがあります。ここには今監督の肖像写真や作品とは直接関係のないアートが飾られています。また生前使われていたペンやメガネなどの私物、今監督の作品で音楽を提供されていた平沢さんに託された黄鉄鉱があります。この黄鉄鉱、自然から出てきた産物なのにとても人工的な形をしているのです。大小の立方体が連なった様は生命体が分裂増殖しているようにも見えます。この二面性が、絵が動いているだけなのにそこに命を感じるようなアニメの魅力にも通じるように思えました。今監督が大切にしていたのもとてもよくわかります。この部屋にはメッセージボードがあって、初日から既に沢山のメッセージで埋まっていました(http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/249)。

奥の部屋では薄暗がりの中で映画の宣伝ポスターが掲げられ、中央では今監督の記録動画が流されています。私が見たのは「アートカレッジ神戸アニメーション学科 プロフェッショナルワークス 授業 (2004)」というタイトルで、今監督が専門学校生に講義をしたり、作品にアドバイスをしたりしているところが映されていました。あくまで記録用に撮られたものなので聞き取りづらい部分やブツ切りの編集があったりするのですが、話されている内容はとても貴重なものでした。アニメーション業界の現実と、そこで生き抜くためにはどういう心構えで有るべきかを若者を威嚇するでもなく、非常に理路整然に淡々と話していました。今監督は私にもよく、「今の人間は年齢に5/8をかけたくらいが実際の年齢だと考えたほうがいい」とおっしゃっていました。この映像の中でも、「偏差値の考え方は今の時代の限られた世代の中の君のポジションを表したもの。20年前と今の偏差値60では実際の力は全然違う。絵の世界も同じで、今自分が周りと比べてどこにいるかでなく、自分がなりたいような人は自分の年の時にどれだけの力を持った人だったのかを知り、それを目標にするべきだ」といった内容の話をされていました。こういう話をしないで適当に教えるようなことを今監督は絶対にしない人だったのでしょう。生徒の作品に対するアドバイスも、とても合理的で、とても優しい。ポイントを指摘しながら毒を吐きつつも相手を笑顔にさせる姿には、平沢さんの言うように悪意と善意のバランスをとてもうまくとってる人柄が表れていました。

個展のスペースは決して広くありませんが、溢れんばかりの作品に包まれています。これも限りある予算と人員の中で、コンパクトに緻密な作品を創り上げてきた今監督を象徴するかのようです。個展にはこれまで今監督と縁があった方々から贈られた花も沢山飾られています。私は今監督の個展に来るまで、こういう花は形式的なコピー品がくるものと思っていました。しかし、個展に届けられた花はどれも送り主の個性が表れた美しいものばかり。今監督が大衆に媚びた作品ではなく、きちんとクリエイターとしての態度を貫き、それに芯からシンパシーを感じた他のクリエイターと共に作品を作ってきたことが感じられます。今監督の作品は、何か表したいことを表しているというより、世界や人間そのものを表しているので、見た人それぞれが自分が表したかったことに気付かされたり、「今監督はこういうことを表したかったんだ」と催眠のような状態にいざなわれます。これが何よりの快感で、今監督は根が善意の人なので、描かれた善意の世界はいつもポジティブなものを残していってくれます。以前、今監督にうかがったことがあります。
私:「こういう作品をつくる衝動というか、つくる気持ちはどういうものなんですか?」
今監督:「衝動ですか・・・。う〜ん、生きてくためにしかたなくですかね」
私:「え!?」
今監督:「アニメ映画の監督を絶対やりたいのかというと実はそういう訳じゃないんですよ(笑)でもね、結果的にやりたいことにしちゃうんです。最初はやりたくないものでも、自分でやって良かったって思えるものに、やってるうちにしちゃうんですよ」

今監督が正面から向きあって、それでいて執着のない、とても綺麗な世界が新宿眼科画廊にはありました。今監督にもう会えないのはとても悲しいです。新たな作品が見れないのも寂しいです。しかし、今監督の絵に囲まれ、その演出に囚われた催眠状態の中で、私は今監督からお土産をいただきました。それは過去も未来も一緒になった、大切なお土産です。

8月24日まで個展は続きます。ふっと立ち寄った方も楽しめる綺麗な空間で、是非みなさんもお土産を見つけてください。

舞台版『千年女優』レポート

こんにちは。日々平沢さんや今監督始め、様々なアーティストの作品に触れて感動している毎日なのですが、自分にそれを伝えたり表現する力がないことの虚脱感に一時期見舞われ、ブログの更新が滞っておりました。しかし、私は私なりに見た世界を正直に書けばいいのだろうと開き直り、特にこの舞台はできるだけ多くの人に知ってもらいたい、何より舞台後に演者の皆様が「どんどんブログなどに書いてください」とおっしゃっていましたので、その言葉に甘えて書いてみようと思います。できるだけネタバレせずにイメージを書いていこうと思います。

2月18日に舞台版『千年女優』を観てきました。今 敏監督がオリジナルストーリーとして監督し、2001年に公開されたアニメ映画「千年女優」が2年前に初舞台化され、今回は一部メンバーを変えての再演でした。今監督がファンだったという劇団『惑星ピスタチオ』のメンバーだった末満健一さんが脚本と演出を担当し、神戸を拠点に活動する劇団『TAKE IT EASY!』がたった5人で演じています。

http://www.tekuiji.com/1000/top.html

2月18日は凄まじい突風が吹き荒れる一日でした。お陰でJRが遅延しており、私は劇場のグリーンシアターまで慣れない池袋の街を走って向かいました。「なんだか出だしから千代子の気分」などと思いながら、息を切らせて開演ギリギリに受付に飛び込みました。ぜぇぜぇ言いながら、いい年して学生証を提示した私は異様に見えたに違いありません。座席に着くと先に到着していた友人がソワソワしながら待っていました。彼は私の中学校からの友人で、とある劇団の準劇団員です。以前からお互いに気に入った作品を交換する仲で、私はよく今監督の作品を貸していました。今回も私から彼を誘ったのですが、前日に彼が大好きな俳優さんが観に来ていたのをブログでチェックしていたらしく、気分は高まっているようでした。

舞台を見ると、「あ。睡蓮」と思いました。美しい布の花弁と足場をぐるっと囲うように描かれた円が開いた睡蓮を思わせる舞台を作っていました。そして、劇が始まりました。とても原作に忠実な展開で、しかも舞台だからこその照明と役者さんの存在感を利用した演出をいきなり見せつけられ、圧倒されました。そして、原作と同様、井田と立花が出てきて、千代子のインタビューが始まり、物語がつづられていきます。この辺りの演出が最初は納得できませんでした。声で役を一部説明してしまうのです。「この人はこういう人!」みたいな形で。生意気小僧の私は「なんだよ。初めて観た人のためとは言え、それはシラケるなぁ」などと素人考えを持っておりました。ごめんなさい。しかし、その後話が進み、様々な演出を見るに連れ、「あ。アホだったのはオレだ。あれこそ演出だったんだ」ということが分かってきました。フライヤーにも書かれているように、この演劇で斬新なのは「入れ子キャスティング」。わずか5人の演者が入れ替わり立ち代わり劇中劇の千代子を演じていきます。象徴的な存在である鍵の君を明確化させず、基本キャラを印象づける過程をむしろ強調し、途中で自らその「前提」を壊すことで千年女優の肝であるメタフィクション的な要素を引き出すことに成功していました。映画とは全く違うものなのに、映画と同じようなテーマを表現できている。観ているのは映画の世界なのか、千代子の妄想なのか、現実なのか、それを悩むのも馬鹿らしくなるくらいテンポのいい場面の繋がりが連続していきます。さらに、その「前提」を思いっきり壊す過程に観客とのインタラクティブな要素が含まれているのです。今監督は千年女優の舞台化に際して様々な“縁”を感じていたようですが、舞台演出はその縁に違わず今監督の世界にリンクしたものになっていました。

また、すごいのは小道具の効果的な使い方!基本的に用いられる小道具は二種類だけですが、それが場面ごとに違和感なく異なった役割を演じるのです。「小道具まで演じてる・・・!」これも背景画像にまで意味をこめて「演技」をさせていた今監督の精神に繋がるものがあると思いました。舞台中は随所に演劇ならではの笑いもてんこ盛り。その笑いも映画に対するリスペクトをユーモアに転換しているものが多くあり、原作にも込められていた映画への想いまで体現されていました。睡蓮の舞台の中で走ることから「逃れられない」千代子ですが、それ故か睡蓮の花言葉の純真さが強く感じられ、原作の千代子よりも舞台上の千代子は力強く見えました。

「今監督の世界が描けるのか?」とパンフレットに映画で立花の声を演じた飯塚昭三さんのコメントも載っているこの作品。今監督の世界は舞台に携わった皆様のセンスと努力に磨かれて輪廻転生し、文字通り次元を超えてきてくれました。この舞台に関しては今監督がブログで記事を連載し、詳細に感想を述べています。
http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/364
それでも、作品を「分かる」ことは難しいかも知れません。しかし、「分かる」はどこまでいっても文字通り「分解する」だけ。作品から直接得られる感動や情動を忘れなければ、分解しなくても製作者が作ってくれた世界は自ずと伝わってくると思います。一緒に舞台を観た友人も「今日は正直不安だったんだ。ぐしゃうんに借りた映画が面白かったから。でも、そんな心配不要だったね。原作も演劇も両方面白いなんて初めてかもしれない」と言ってくれました。とても面白い舞台です。まだ東京公演も当日券があるようですし、この後も大阪や福岡での公演が予定されているようです。是非足を運んでみてください。

つぶやきからトータルへ

一年の締めということで、学生という身分で特に何の業績もない私ですが、僭越ながら私事をつらつら書いてみようと思います。2010年を振り返ってどんな年だったか。楽しいことも辛いことも沢山あって、とても最大公約数的な答えが導き出せません。無理に答えを出そうと考えると、一番最初に浮かんでくるのは人との縁という普段から常に私が感じている大切なモノです。これはきっと、私が一年間能動的に真に自分の決断で行ったことや守るべきものがなかったから、特徴だった物が見つけられないのだろうと反省していると同時に、そういった縁に恵まれ続けていることに幸運を感じています。実生活では就職活動を通して様々な学生や社会人と触れ合い、長い付き合いになるだろう就職先が決まり、新たな仲間ができました。研究室では同期と新しいメンバーのお陰で、これまでの厳しかった研究生活では想像できなかった明るい生活に触れることができました。しかし、それらも大変素晴らしいのですが、最も私の生活に影響を与えたのは平沢進さんにつられて始めたtwitterだと思います。就職活動を通じて感じた社会への違和感や、政府やマスコミが私たちと乖離した存在となり何も問題が解決されない閉塞感を他人と共有し、識者に直接つながって興味を持続させることができました。また、これまで縁のあった方々とのつながりが生まれ、私が敬愛する平沢進さん、今 敏監督の作品を中心に、沢山の人が面白い物を教えてくれ、時には「ぐしゃうん君、そっち行っちゃダメだよ」と手を引っ張ってくれました。私が心から尊敬していた今 敏監督が亡くなった時も、胸にポッカリと穴が空いたような喪失感と悲嘆を多くの人が共有してくださって、私よりずっと辛い思いをした方々がとても温かく、とても凛々しく振舞っていることをリアルタイムに知ることができ、一人で何のつながりもなく抱えていたであろう思いとは全く違った形で気持ちをポジティブにできました。皆さんには心から感謝しています。ありがとうございます。

唐突ですが、私は大学生になってからアメリカに短期留学に行きました。その時に痛感したのは、「オレはアメリカのことを学ぶ前に、むしろ日本のことがよくわかっていない」ということでした。
「クロサワってすごいよな。彼の映画では何が好き?」
「なんで君らの国にはまだエンペラーがいるんだ?」
このような直接的な問いだけでなく、彼らとの価値観の違いを感じるたびに「むしろなんで僕ら日本人はこういう風に考えるのが自然だと思ってるんだろう?」と疑問に思うことの連続でした。それまで古文や漢文はセンター試験の点数稼ぎにしか考えていなかった私ですが、このことをきっかけに古典に興味を持つようになり、柄にもなく万葉集*1論語*2の解説本を手に入れました。そこで初めて文法のパズルではなく作品として古典を楽しむことを知り、特に論語はそれから文字通りバイブルのように枕元に置くようになりました。論語孔子の言行(つぶやき)を2500年程前にまとめたものです。孔子は日本でいう聖徳太子のように素性が美化されていますが、実際には苦労人の普通の役人だったようで、注目されるのも50歳を過ぎてからだったそうです。実は「論語」というタイトル自体がどんな意味を成しているかもよく分かっておらず、このいい加減な感じも好きです。論語の中身は、皆さんも古典で触れたように「含蓄のある」言行録を漢文で表したものです。読んでみると、現代日本の道徳の根幹に論語があると言われることが肌で感じられるくらい、すんなりと受け入れられる内容ばかりになっています。含蓄のある、なんて言いますが、身近に感じるつぶやきも沢山。
子曰、興於詩、立於禮、成於楽、
「人間の心は、詩によって揺り起こされ、礼によって形作られ、音楽によって和やかに完成するもんなんだよ」
みたいに。2500年前からこういう感覚を持ってる人がいて、それが残っている。現代人が都合のいい様に翻訳するからとは言え、時空を超えて共感が生まれる。論語twitterって似たものに感じられるんです。リアルタイムに時代を共にする皆さんから得られる示唆は論語より遥かに刺激的で、私が大きな悩みに取り憑かれたとき、それをいつも癒してくれました。一人一人のつぶやきが、誰かに影響する。一人一人が苦労して、そこから得た生の生きるヒントを残してくれる。論語が時空を超えて私に影響を与えたようなことが起こり続けている。有名人かどうか関係なく、年齢も性別も人種も国籍も関係なく、何気ないものも含め皆様の発言全てが私にとっての財産でした。人間は全能感と虚無感のバランスが大事だと私は思っています。そのどちらが極端に大きくなりすぎても、自分や他人を傷つけてしまうと思うのです。私が政治や世間の問題を語って全能感が膨張しだしたときも、自分を見失って虚無感に包まれた時も、皆さんの思いやりと何気ないつぶやきが私を居るべき場所に戻してくれました。

この世は絶望だらけじゃない。素晴らしい人で溢れた希望ある世界なんだ。その影響はきちんと伝わるべき人に伝わっていくんだ。

そう確信できた2010年でした。感謝を込めて、新年の皆さんのご健闘をお祈りしています。
2011年もよろしくお願いします。

今 敏監督がTIME誌でPerson of the Year 2010に選出

Satoshi Kon - Person of the Year 2010 - TIME
敬愛する今 敏監督がTIME誌でPerson of the Year 2010に選出されました。TIME誌のPerson of the Year 2010の中で“Fond Farewell”、直訳すると「敬意を込めたお別れ」という亡くなった人々から選出される部門で、かのJ.D.サリンジャーらと共に選出されています。

TIME誌のページに掲載された今監督の写真は鏡に映った今監督を捉えています。今監督は特に初監督作品「パーフェクトブルー」で鏡に映った像に登場人物の妄想や他の時空間を投影する演出を多用しており、今監督が一貫して作品で示してきた持ち味である現実と非現実の混交を見事に表した一枚だと思います。その作風は今監督がアニメ監督を務める前の漫画家時代から現れており、最近今監督が亡くなられたことをきっかけに貴重な漫画作品が次々に刊行されています。私も既に購入した作品があり、それについても近くここに書きたいと思っています。以下に私が翻訳したTIME誌の記事を書きます。あくまで素人が翻訳した文章ですので、誤った表現や難解な個所があればご指摘ください。

二流の英雄。これは一般的なアニメーション映画のアーティスト達に贈られる称号である。彼らの作品は最高の賞賛を受けるが、その賞賛を受けるべき製作者はかわいくて弱々しい人間ばかりだと人々は思いこんでいる。今 敏はそんなニッチな身分に心を痛めていた。「私はアニメ監督です」彼は言った。「分かる人は分かるんですよ」そう、今氏は偉大な日本の映画監督だった。彼の死は8月24日、享年46歳。死因は膵臓癌だった。最も尖鋭的で、かつ緻密なアーティスト達の映画の世界を彼の死は奪っていった。
漫画家今 敏が最初にアニメ映画の世界に進んだのは1998年の作品パーフェクトブルーだった。これはファンにストーキングされるポップ歌手の物語だ。アニメの超人宮崎駿のファンタジー映画に比べて、より恐ろしく、官能的なパーフェクトブルーは、イタリア人の映画監督ダリオ・アルジェントのメロドラマ的ジャーロ(スリリングな映画の一分野のこと)からインスピレーションを受けている。
今氏の続いての作品「千年女優」は、小津安二郎の繊細なファミリー映画から、荒廃した東京を描いたゴジラのような雄大な映画まで、様々な日本の実写映画への敬意が込もった、映画の歴史とサスペンスの絶妙なミックスから成り立っている。2003年の「東京ゴッドファーザーズ」はジョン・フォードの「三人の名付け親(3 godfathers)」の面影を持ち、時にクリスマスの団欒のような温かさを見せる。今氏は日本のホームレスの血縁関係がない家族三人組を描いた。
彼が最後に完成させた作品は2006年の「パプリカ」である。この作品もまた、彼の最も複雑な作品である。この殺人の謎を解く鍵は、全ての夢が現実のように見える映画館である。今氏の夢の描写は、視聴者を覚醒しながら催眠状態に落とし込むアニメーションの力を証明している。彼曰く「ロボットたちのロードムービー」という彼の最後のプロジェクトが「夢みる機械」と名付けられたのもうなずける。
今氏は5月18日に彼の死期を告げられた。死後に発表されたメッセージで、彼は彼の家族や同僚への純粋な優しさを込めて文章を書き、その中でも特に信頼のおける2人に対して、「死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。(中略)じゃ、お先に。」と述べた。
彼の芸術、彼の人生、彼の去り際の気品、全てにおいて、今 敏は一流の英雄である。
リチャード・コーリス 著
この文章の原文は2010年9月13日にTIME詩で出版されたものです。

以上のように、端的かつ表現は日本人からすると馴染みのないものながら、今監督に大変理解のある著者の思いが伝わってくる内容でした。先日のTBSラジオ小島慶子 キラ☆キラ」の中で、映画評論家の町山智浩さんがブラックスワンを解説し、今年ベスト3に入る素晴らしい映画だとしながらも、作品には今監督の「パーフェクトブルー」の影響が色濃く見られ、それを認めないことが残念との旨を話していました。その際、番組の最後に「今監督は偉大な映画監督です」と明確に発言しており、町山さんのポッドキャストについて自身のブログに書くほど町山さんを敬愛していた今監督が、きっと喜んで受け取られるだろうメッセージを発していました。町山さんは自身のツイッターで、今監督と町山さんが互いを敬愛していたのに一度もお会いしたり接点を持てなかったことを大変残念がる旨の発言をしており、生前惜しくもすれ違っていた縁が、ここでつながったのだと私は感動していました。TIME誌と言い、ブラックスワンといい、今監督の影響は間違いなくまだまだ世界に広がっています。その度に感動をくれる今監督への敬意は未だに衰えません。一流の英雄は、これからも静かに私たちを善きものの方へ導いてくれるでしょう。

※12月24日訂正 翻訳文中でジャーロについて誤解していた部分を訂正しました。

生命科学専攻学生が見た就職難

■Introduction
私は学生なので、働いている人が見ているリアルで広範囲な世界のことは知りません。インターネットのお陰で、多くの方と知り合うことができ、沢山お話をうかがうことはありますが、実感として知っていることは自分の立場から見た狭い世界のことだけです。しかし、最近特に世代の違う人と話していて、危機感を持つべきことに関心がなかったり、共感して欲しいところがわかってもらえなくて寂しいと思うことがあるので、誰でも閲覧できるこういうところに、自分の立場から見た世界をしばしば書いていこうかと思います。若者擁護な視点が多くなっていることをご了承ください。

最近、日本は大卒就職率や内定率が落ちています。私は大学院生博士課程前期(修士)2年生なのですが、生命科学系の大学院でも起こっていることは全く同じで、私の大学は名前を言えば大体の方に「ああ、あそこね」と言ってもらえる大学なのですが、学科に当たり前のように就職留年が出るようになりました。2010年入社の就活からガクっと就職活動は厳しくなったように思います。それまでは就職留年というと、研究室で耳にするものは希望の内定が取れなかったからやるというものだった(これ自体も国際的には異常なことですが)のですが、最近は全く正規雇用の内定が取れなくて泣く泣くという人が出てきました。しかし、中には、というか現役の教授でさえ、盲目的に「それは最近の学生の質が落ちているからだ」と思っている人がいます。確かにそういう見方はあると思います。今や大学生でも登校拒否や自分の人生に責任をもたない態度が広がっていることは確かです。しかし、「質」というのが学力と混同されている向きがあることに私は危惧を覚えています。

学力低下で就職難は説明できないと思う
ゆとりという言葉に代表されるように、実際に学習指導要領はこれまで度々易しくなるように改訂されていて、日本人の平均的な学力は落ちています。しかし、これまで日本のエリート層(この偏見染みた言葉は嫌いですが)などと呼ばれていた学習指導要領になど頭から従っていない私立中高で教育を受けて、一般受験で難関大学に合格した人々の学力は、落ちているとはいえ、その幅は比較的小さいと思います。そういった学校では学習方法は時流に逆らってむしろ常に発展しており、実践的な学力を学ぶ機会も増えています。現在起こっている就職難はこれらエリート層にまで拡大しており、これは明らかに学力低下だけで語れる問題ではありません。私はこの原因が本質的には景気低迷と、規制と不文律により既得権益者に閉鎖された労働市場を含めた日本の市場の永続的な縮小にあると思いますが、それに拍車をかける問題として、
1.大学の専門分野は就職に活かされるべきというやる気のある学生の誤解
2.労働は馬鹿らしいというやる気のない学生の存在
3.未だに序列と学歴保障が存在しているという学生全体の誤解
を感じています。カテゴライズをすると、どうしても齟齬が生じてしまうのですが、一つ一つについて考えていきたいと思います。
1.大学の専門分野は就職に活かされるべきというやる気のある学生の誤解
特に理系に顕著なのがこの考え方です。科学の常識が求められることはありますが、実際には新卒採用で専門的なスキルや知識が求められることはほとんどありません。生命科学に関しては、ほんの一部の製薬会社の研究職で求められるくらいだと思います。本当に専門的な知識が必要なポストは学位取得者や中途の採用によって補うのが一般的だと思われます。修士や学士は専門的な知識ではなく、与えられた課題をどうこなしたか、そこから仕事として一般化してどう自分は成長したかを問われるので、全くその会社の事業と関係なさそうな専攻の人が内定を得たりします。単純に専攻=将来の職という風に視野が狭められていた就活生は少ない職種を狙い、多くは落ちていきます。それどころか、その狭められていた視野の中で就活生は「夢」を持っているのです。「こういう仕事をして、社会の役に立ちたい!」「こういうことをして、こういう人を助けたい!」ところが、この夢は就活を通してことごとく否定されていくので、挫折によりモチベーションを失ってしまう学生が多く見受けられます。これはいわゆるやる気のある学生にありがちです。2009年入社の就活生までは、そういった専門職の選考が秋に終わってから、他の職の選考が始まっていたのですが、現在はほとんど全ての会社が年明けにエントリーシート→面接→5月始めに内定というプロセスを経るので、「専攻と会社は関係ないんだ」と気付いた頃には就活が一通り終わってしまっているという状態になります。また、これまで理系学生の決定的なパイプラインだった「学校推薦」が機能しなくなっています。学校推薦とは各大学に有名企業から比較的専攻と近い研究開発職に特別枠として採用人数が割り当てられ、内定時に入社を確約することを条件に学生を採用する採用方法です。以前は採用枠通りに内定がもらえたのですが、最近は最終面接で落とされたり、他の会社の採用を犠牲にしたのに内定がもらないということが起こっており、特別枠としての役割が弱くなっています。つまり、現実問題「自分の専攻を活かせる仕事は一握りしかない」ということを意識して早くから就職活動を始められないことで、それに気付いた頃には残された選択肢が限られている→留年や非正規雇用に就職という事態が起こっています。

2.労働は馬鹿らしいというやる気のない学生の存在
先述したように、現在の就職難は既得権益側による「若者いじめ」の様相があること、日本国家の財政はもうすぐ破綻するだろうことを盾に、「今働いても搾取されるだけ。どうせ稼いだ金の価値が近いうちになくなってしまう。親の資産や社会保障に甘えた方がいい」と半ば真剣に考えている人がいます。就職活動はもはや外面を判断するだけの既得権益者のゲームであり、自分は社会の一員として認めてもらえることはないという絶望感のようなものが漂っています。そのため、就職が決まらなくてもあまりあせらず、適当にフリーターになったりします。こういう人はマイノリティですが、大学院でも普通に見かけるようになりました。もちろんこのようにロジカルに問題を考えている人ばかりでなく、ただ単に「なまけ」や「甘え」から働くことを放棄している人もいますが、無意識下にはこういった絶望感があることは間違いないと思います。また、これら単なるなまけからこういった態度を取る人と現代社会への反抗としてのサボタージュを行っている人が混在していることが、起こっている現象を複雑化している向きがあると思います。

3.未だに序列と学歴保障が存在しているという学生全体の誤解
日本の教育は、ほとんどがネームバリューによる偏差値至上主義で成り立っています。2008年に共立薬科大学慶応義塾大学に統合されて名前が変わっただけで、偏差値が跳ね上がった現象がありましたが、あれは端的にそのことを表していると思います。そのため、就職活動においても、2ちゃんねるを中心にした偏差値ランキングが存在しています。例えネット上の企業ランキングを知らなくても、それに似たような序列のもとに就職活動をしている人が大変多いと思います。実際には就職活動には偏差値など存在していないため、この序列を安易に信用するわけにはいきません。しかし、意外とこの序列を鵜呑みにし、実際の会社の内情を知らないままに就活を進める人が沢山いるというのが実感です。そのため、どこどこの会社に受かった、受からない、内定をもらった、もらわない、で「勝ち組」「負け組」という根拠の乏しい偏見が生まれます。すると、本来は働くことを目的としていた就活が「勝ち組にならなければ意味がない」というものに変化していきます。そのため、前述の学生の考え方がエスカレートし、「専門を活かせてなおかつこれ以上の会社でなければ意味がない」「これ以上の会社に受からなかったら働かない方がいい」という考え方に陥ります。また、学歴保障の考え方も根強く、「これくらいの偏差値の大学だから、これくらいの会社に入れないといけない」という潜在意識や周囲の期待も色濃く残っています。学歴で採用してくれるところがあると無意識に思っている人もいます。確かに採用側も学歴でボーダーをかけているところはありますが、日本企業は海外の採用プロセスを自分達に都合のいいように最近は取り込んでおり、「学歴無視」を標榜した「有名大学生でも使えない人は入れない」というリスクヘッジを行っているため、基本的には会社とのマッチングが全てです。

■学生はリアリストたれ!労働市場よ変われ!
日本は旧態の序列に基づいた就職活動と外資系企業を中心としたグローバル視点の採用活動が混在した非常にややこしい労働市場が形成されています。そのため、これまでの序列に従った現象とこれまでの序列に逆らった現象が同時に起こっており、就活生は混乱し、世論も何が起こっているのかよくわからないという状態が今だと思います。ここで、学生に対して行いたいアドバイスは、
1.自分の専門性に固執しない。
2.労働市場の需要をつかむため、様々な業界・企業を早めに知る。
3.静的な安定を求めず、動的な安定を自ら創るという態度をとる。
ということです。
1.自分の専門性に固執しない。
自分が描いた夢は本当に実現可能なのか、その夢は偏った目線で創られていないか、リアリストとしての視点でもう一度見て、視野を広げて欲しいと思います。逆に言うと、これまでの自分の専門性を一度リセットして、本当にやりたいことは何なのかを考えてみるといいと思います。最近は、就活でよく自己分析を行います。そこで見つけた働くモチベーションを、自身の専門を度外視して実現していく方が、現代の働き方としてはやりやすいと思います。
2.労働市場の需要をつかむため、様々な業界・企業を早めに知る。
つまりは現実に存在している仕事をどんどん知って選択肢を増やして欲しいということです。もしかしたら自分の専門性を活かせる仕事が、全く興味のなかった業界にあるかもしれません。例えば、大日本印刷では印刷技術を応用した血管再生技術の開発などを行っているように、名前と一般的な知識からは導き出せない研究分野が転がっていることがあります。また、「こういう仕事があったんだ。こっちの方が向いてるかもしれない」ということもあるかもしれません。過去の研究室や先輩がどこに行っているかを把握して自分の目標を作るだけでなく、自ら世界を広げて行って欲しいと思います。アドバイス1と逆行する部分があると思われるかもしれませんが、まずはどんどん情報を仕入れて行くことが大事です。そして、その過程で自身の専門性に固執しないで選択肢を広げ、優先順位をつけて立ち向かっていく。もし専門性が武器になるなら、その時は専門性を武器にするということが大切だと思います。
3.静的な安定を求めず、動的な安定を自ら創るという態度をとる。
私は最早、日本企業に安定を求めることは間違っていると思っています。もちろんメガバンクを抱えているような財閥が潰れる時は日本経済がメチャメチャになってる時だと思いますので、その辺りの会社は政府が守るだろうから安定ということはあるかもしれません。しかし、今やその政府も財政が困窮している中、そのようなセーフティネットが現実に機能するのかも疑問です。これからは組織が変わっても自分が労働力として力を発揮していくという態度が大変重要だと思います。そして、安定した組織を自ら創っていくように心がける。大げさにいえば、社員とはいえ、自分をフリーランスのように捉えていくことが大切だと思っています。お前、働いてない癖に何言ってんの?という声が聞こえますが(笑)、安定した組織を手に入れるというよりは、それくらいの危機感と自主性を持って就職活動を続ける方が健全だと私は思っています。

私はこのように自身の身の置き場を労働市場に探していく作業が就職活動だと思っています。ところが、未だに学歴等による目に見えない序列や、終身雇用を守るために採用を規制する態度、新卒採用という今となっては機能していない就職慣行がこの作業を妨害しています。自分が行いたい仕事の実現のために研究やインターンやボランティアや留学や短期就職をして企業にアプライしても、ただ新卒で面接をうまく切り抜けただけの学生に負けていくのが日本です。そして、真面目な就活生は労働市場の閉塞感と、自分は実は何も求められていないという絶望感に包まれ、やる気のない学生は一体何が起こっているかもわからずにうまくいったり、こぼれてフリーターになったりしています。労働市場をもっと分かりやすく解放し、若者にチャンスを与えるだけで、自然とやる気のある若者は夢を持つようになるし、日本は発展していくと思うのですが、中々歯車は噛み合ってくれません。問題は複雑ですが、ひとつひとつ次の世代の足かせにならないように解決していけば、どんどん人が救われていくのが今の日本で、そうなれば相互理解によって絶望感はいずれ消えていくと私は思っています。

※追記 2010年11月27日午前1時
はてブのコメントで「専門性に固執しないなら学部で就職すればいい」とのコメントが多数見受けられます。仰る通りだと思います。しかし、現在の研究開発職の多くは修士卒が採用の条件になっています。理系の学生は研究開発を第一志望にする学生が多く、大学院への進学者が元々多いため、門戸を広げるために行かなくてはというノリの人が多いかと思います。また、私は専門に固執するなと言いたいのであって、放棄しろとは思いません。決して専門性の重要性を否定するわけではありません。特に大学院生に盲目的に自身の専門から離れられないで、「そういう仕事もあったのか」と後悔する人を何人も見ているので、まずは視野を広げることが大事という意味での意見だという風にご理解ください。