「千年の土産」を見つけに。

昨年8月24日に急逝されたアニメーション監督、今 敏監督の回顧展「千年の土産」が新宿眼科画廊という会場で行われています。
http://konstone.s-kon.net/modules/gallery/retrospective.html
今監督が監督を務めた映画作品の絵や企画段階の線画をはじめ、今監督が最後に制作を手がけ、現在制作休止となっている映画「夢みる機械」のキャラクター絵、さらには今監督の大学生時代の作品も展示されています。8月24日まで行われていて、入場料は無料です。
今監督の作品の著作権管理などを行っている会社KON'STONEのブログで、公開後の「千年の土産」の様子もアップされています。
http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/342

私は個展の初日8月12日に行ってきました。初日は個展で限定100セット販売される画集を求めて開場時間の3時間以上前から人が並んでいました(かくいう私も並んでいました)。スタッフさん達のご配慮で、早めに整理券が配られましたが、開場直後は画廊前に行列ができる程の盛況ぶりでした。画廊は入るとすぐにこれまでの作品の絵がかかっています。入り口正面に位置する千年女優の走っている千代子の絵は、個展の大きな絵で見ると本当に動きそうな躍動感があります。そして、なんとなく日本女性を感じさせる独特のしなやかな凛々しさがあります。これからどこかへ行ってしまう・・・という印象の強い千年女優ですが、この千代子はこの個展のために駆けつけてきてくれたような感じがして、個展で一番眺めてしまいました。今監督が作品とは関係なくプライベートで描いた作品もあり、生まれてから絵を描いてしかお金をもらったことがないという生粋の絵描き今 敏の世界にどっぷりつかれました。今監督の絵は一つ一つに「演出」が施されており、写実的に物を描くのとは違った楽しみを自由に発見することができます。それには今監督が意図した演出もあれば、自分が気づいたオリジナルの演出もあるでしょう。時には今監督の思い通りに別の印象へ誘導されることもあります。一見した作品の美しさだけでなく、見れば見るほど面白さを感じられるのも今監督の絵の素晴らしいところです。同じスペースには線画の数々がありました。とても緻密な作風はそのままに、それでいて線の一つ一つが機械的な直線などではなく、柔らかい温かみのある線なのを眺め、作品にはきちんと今監督の作品への態度とそれまで歩んできた生き様がきちんと乗っかるんだなぁと感慨深く思いました。
奥の部屋には漫画部屋と呼ばれる、今監督が漫画家時代に描いた原稿や大学の課題と思われる漫画のポスターがありました。緻密な作風はそのままに、変な執着がなく、「こんなん思いついたけどどう?」とドサッと作品を見せてもらったような清々しさがありました。大学時代に作成したと思われるポスターが私はお気に入りでした。このアイデアは広告でそのまま使えるんじゃないかと思ったほどです。漫画部屋の雰囲気も公式ブログで公開されています(http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/313)。

漫画部屋の向かいには監督部屋と呼ばれているスペースがあります。ここには今監督の肖像写真や作品とは直接関係のないアートが飾られています。また生前使われていたペンやメガネなどの私物、今監督の作品で音楽を提供されていた平沢さんに託された黄鉄鉱があります。この黄鉄鉱、自然から出てきた産物なのにとても人工的な形をしているのです。大小の立方体が連なった様は生命体が分裂増殖しているようにも見えます。この二面性が、絵が動いているだけなのにそこに命を感じるようなアニメの魅力にも通じるように思えました。今監督が大切にしていたのもとてもよくわかります。この部屋にはメッセージボードがあって、初日から既に沢山のメッセージで埋まっていました(http://konstone.s-kon.net/modules/konslog/archives/249)。

奥の部屋では薄暗がりの中で映画の宣伝ポスターが掲げられ、中央では今監督の記録動画が流されています。私が見たのは「アートカレッジ神戸アニメーション学科 プロフェッショナルワークス 授業 (2004)」というタイトルで、今監督が専門学校生に講義をしたり、作品にアドバイスをしたりしているところが映されていました。あくまで記録用に撮られたものなので聞き取りづらい部分やブツ切りの編集があったりするのですが、話されている内容はとても貴重なものでした。アニメーション業界の現実と、そこで生き抜くためにはどういう心構えで有るべきかを若者を威嚇するでもなく、非常に理路整然に淡々と話していました。今監督は私にもよく、「今の人間は年齢に5/8をかけたくらいが実際の年齢だと考えたほうがいい」とおっしゃっていました。この映像の中でも、「偏差値の考え方は今の時代の限られた世代の中の君のポジションを表したもの。20年前と今の偏差値60では実際の力は全然違う。絵の世界も同じで、今自分が周りと比べてどこにいるかでなく、自分がなりたいような人は自分の年の時にどれだけの力を持った人だったのかを知り、それを目標にするべきだ」といった内容の話をされていました。こういう話をしないで適当に教えるようなことを今監督は絶対にしない人だったのでしょう。生徒の作品に対するアドバイスも、とても合理的で、とても優しい。ポイントを指摘しながら毒を吐きつつも相手を笑顔にさせる姿には、平沢さんの言うように悪意と善意のバランスをとてもうまくとってる人柄が表れていました。

個展のスペースは決して広くありませんが、溢れんばかりの作品に包まれています。これも限りある予算と人員の中で、コンパクトに緻密な作品を創り上げてきた今監督を象徴するかのようです。個展にはこれまで今監督と縁があった方々から贈られた花も沢山飾られています。私は今監督の個展に来るまで、こういう花は形式的なコピー品がくるものと思っていました。しかし、個展に届けられた花はどれも送り主の個性が表れた美しいものばかり。今監督が大衆に媚びた作品ではなく、きちんとクリエイターとしての態度を貫き、それに芯からシンパシーを感じた他のクリエイターと共に作品を作ってきたことが感じられます。今監督の作品は、何か表したいことを表しているというより、世界や人間そのものを表しているので、見た人それぞれが自分が表したかったことに気付かされたり、「今監督はこういうことを表したかったんだ」と催眠のような状態にいざなわれます。これが何よりの快感で、今監督は根が善意の人なので、描かれた善意の世界はいつもポジティブなものを残していってくれます。以前、今監督にうかがったことがあります。
私:「こういう作品をつくる衝動というか、つくる気持ちはどういうものなんですか?」
今監督:「衝動ですか・・・。う〜ん、生きてくためにしかたなくですかね」
私:「え!?」
今監督:「アニメ映画の監督を絶対やりたいのかというと実はそういう訳じゃないんですよ(笑)でもね、結果的にやりたいことにしちゃうんです。最初はやりたくないものでも、自分でやって良かったって思えるものに、やってるうちにしちゃうんですよ」

今監督が正面から向きあって、それでいて執着のない、とても綺麗な世界が新宿眼科画廊にはありました。今監督にもう会えないのはとても悲しいです。新たな作品が見れないのも寂しいです。しかし、今監督の絵に囲まれ、その演出に囚われた催眠状態の中で、私は今監督からお土産をいただきました。それは過去も未来も一緒になった、大切なお土産です。

8月24日まで個展は続きます。ふっと立ち寄った方も楽しめる綺麗な空間で、是非みなさんもお土産を見つけてください。