JAXA 宇宙科学研究本部 はやぶさプロジェクトマネージャー 川口 惇一郎氏 講演レポ

■Introduction
まず、私は生命科学専攻の学生であり、宇宙工学には詳しくないし、特段はやぶさオタクな訳ではないという言い訳を最初にさせてくださいwよって、中には事実誤認による発言もあるかと思いますので、いち素人の感想として読んでいただければと思います。

私は来年から化学メーカーでの研究開発を仕事とすることになっています。今まで大学と大学院で6年間、生命とは何かを細胞を相手に研究していた身からすると、かなり本筋とはズレた道へ進むことになります。その理由は紆余曲折あるのですが、いずれにせよ、私は未だに働いたことのない身分です。日本で技術員として働くことがどういうことなのか、内定先の会社の先輩に聞くミクロな体験だけでなく、経営者や大きなプロジェクトを成し遂げたマクロな視点も勉強したいと思い、このイベントに行ってきました。
http://techon.nikkeibp.co.jp/campus/mtg2010/
特に聞きたかったのは「はやぶさが挑んだ往復の宇宙旅行とカプセルの帰還、その飛行の歩み」というJAXAの川口氏の講演です。はやぶさには以前から興味を持っており、「働く」という視点を折り混ぜての講演が聞けるなんて願ってもないチャンスだと思いました。
朝の秋葉原は意外に静かで、ハングルや中国語が飛び交う雑貨屋や電器店を通りすぎて、ベルサールに着きました。都内には余り縁のない私ですが、来るたびに外国人の消費者としての影響の大きさを痛感します。会場はぎっちりと椅子が詰まっていて、参加者はほとんどが就活生のようでした。そりゃそうか。でも、これから働く人にこそ、こういうのは意義があると思うのですが。なんだか懐かしい中身のない企業や業界批判が就活生から聞こえました。
「マジ関西で働くのだけは勘弁じゃね?」
「東京から離れたら人生負けっしょ」
そうか。僕は人生負けだな(笑)なんだか可愛らしさまで覚えるような懐かしさでした。QUOカードをもらうのに必要なアンケートを書いている最中に、手短な司会の挨拶の後に川口氏の講演が始まりました。非常に落ち着いた方で、情熱を家に秘めた冷静な話しぶりに聞こえました。はやぶさの基礎データや複雑な推進原理まで解説してくださった懇切丁寧なお話だったのですが、1時間の講演全てを列挙はできないので、気になった話をテーマごとにお話しようと思います。

NASAもためらうプロジェクトを
JAXAは1985年にサンプルリターン研究会を発足し、彗星のダストサンプルを採取するという計画をNASAと共同で計画しました。しかし、当時の探査機の推進力は化学ロケットで得ており、燃料タンクの重量が大きすぎて不可能という結論に至りました。しかし、その後1996年、NASAはアイデアや着想は「サンプルリターン研究会」そのままに、ディスカバリー計画を策定し、単独で小惑星探査機や彗星探査機を次々に打ち上げました。
川口氏:「NASAにアイデアを盗られたと思いました。悔しくて悔しくて、我々はNASAもためらうミッションを実行せねばならないと決意しました。その後、イオンエンジンスイングバイなどの次世代技術も先行されましたが、そのころ我々も独自に全く同じ技術を開発しており、むしろ我々の方向性は間違っていないと確信しました」
はやぶさプロジェクト成功の鍵はここだと思います。JAXAの皆さんは、人材も予算も何百倍も差があるNASAと本気でやり合う覚悟を持っていたのです。そのためには、誰もやろうとは考えなかった、60億kmのイトカワへの長距離往復ミッションしかないとプロジェクトチームは考えました。この長距離航行のkey technologyが5つあります。

■Five key technology
1.イオンエンジン・・・小学生のような概略図ですみませんw住来の化学エンジンと比べて、イオンエンジンは推進剤が帯電しているので、電場によって単位量辺りの推進力が大きく、燃料を節約することができます。

2.自律的なシステム・・・現在、地球から天体を観測したときの位置座標は地球から見て1万分の1度の精度で決定できます。しかし、小惑星イトカワは地球からはるか1億km以上離れた軌道を運行しており、地球からの観測精度では300km以上の誤差が生まれます。イトカワの長さは500mなので、とてもじゃありませんが地球からのデータだけではやぶさを誘導できなないので、はやぶさ自身に種々の電波・光学機器を積んで自律的に軌道を修正します。
3.サンプル回収・・・小惑星では非常に引力が小さく、ドリル等では反発力でうまく地表を掘れないので、弾丸を打ち込んで飛び散ったサンプルを回収します。残念ながら弾丸の発射には失敗していました。
4.大気圏再突入・・・はやぶさのカプセルはスペースシャトルと違って、大気圏内を自力飛行できないので、軌道を安定させるために再突入角度が深くなり、スペースシャトルの10倍の熱量に絶えなければいけませんでした。
5.スイングバイ・・・イトカワへ、イオンエンジンの噴出のみで軌道を調節し、なおかつ大きな推進力を得るのは困難なので、大気圏を脱出したはやぶさは、地球の引力で勢いをつけて、なおかつ軌道を調節してイトカワへ向かいました。

■成功の秘訣は『意地と忍耐』『チームワークとモチベーションの維持』
はやぶさは光を発するストロボターゲットをイトカワに落とし、そのストロボの点滅を画像処理して距離を調整しながら着陸するシステムを用いていました。ストロボターゲットは2台あって、1台を発射するために3回着陸を試みたのですが、結局ターゲットの着地は失敗しました。2台目は、なんと全世界88万人の署名が入ったもので、これは失敗できないとチームは大きなプレッシャーを抱えました。事態打開のため、川口氏は全メーカー、JAXAのプロジェクトに携わる全人員の立場によらない評価試験を実施しました。その結果、はやぶさの完全自動システムに人間が介入できるようにシステムを書き換え、爆発的に処理速度を上げることに成功し、本番のストロボターゲット着地を成功させました。
苦難はその後もやってきました。はやぶさは帰還時に燃料漏れを起こし、通信も遮断されてしまいました。受信周波数も送信周波数もわからない。空虚なノイズが毎日毎日、司令室に響きました。
川口氏:「メーカーの士気が徐々に下がっていくのを感じました。『うちの技術はいらないね・・・』と言って、実際に人員もカットされました。私はsolutionの可能性が十分にあることを何度もプレゼンしました。『はやぶさは自律的に一方向に回転が安定する設計なんです!いつか通信は安定します!』『太陽電池で電力は回復できます!』私が何より恐れたのは予算がつかないことだったのです」
川口氏:「私は毎朝、司令室のポットのお湯を替えておきました。チームのみんなに『まだ閉店じゃない』と知らせるためです。皆さんがもし司令室にやってきて、ポットのお湯が冷めていたら、『ああ、もう終わりなんだな』と感じてしまうでしょう?」
科学技術は紙の上、コンピューターの中で大成されるものじゃありません。観察者や実験者が粘り強くチャレンジを続けることの大切さを自覚させてくれるお話でした。そして、最終的には、やはり人の営み。敬愛する平沢進さんの歌、「夢みる機械」の歌詞、『激励こそ最良のメンテナンスである』を思い出します。その後、実際に通信は回復しますが、それはビーコンによる1bitの通信でした。しかもはやぶさは回転し続けているため、通信は定期的に切断→回復→切断→回復→・・・を繰り返しています。司令室は細切れの指令を全て7週間かけて伝達させることに成功しました。
川口氏:「エンジニアは『夢じゃないか・・・』とつぶやいていました」
新たな通信方法が確立され、それは「温度が基準値を超えたら1分間通信を止める」というような超アナログなものでした。そんな通信方式でも、確かにはやぶさは地球に向かっている。徐々にチームに士気が戻ってきました。その後、全イオンエンジンが寿命を迎えるという危機が訪れました。このとき、有名な話ですが、イオンエンジンAの中和器とBのイオン源を組み合わせての噴射によってこの危機をチームは乗り越えました。

このイオンエンジンAとBをつなぐバイパスダイオードは川口氏もその存在を把握しておらず、事前に使えるか実験もしていないものでした。また、壊れたイオン源に電気が流れると、大きな熱が発生し、はやぶさの他のシステムが破壊されるリスクもありました。しかし、やるしかない。
川口氏:「最後は神頼みなんですよ(笑)中和神社という名前の神社が岡山にありましてね。こりゃ行くしかないということでお参りに行って木札を買いました。そこの神主さんがなんとはやぶさのファンの方だったんです(笑)不思議なつながりがあるものだと思いましたね」
実際にこの組み合わせ航行は成功し、はやぶさは地球へと帰還することができました。
川口氏:「でも、運を拾うのはその人の努力、実力です。努力とは、意地と忍耐なんです。」

■『高い塔を建てなければ、新たな水平線は見えない』〜次の世代へ〜
川口氏:「燃料漏れが起こったとき、弾丸発射によるサンプル回収がうまくいっていないことも発覚しました。しかも、世間には既に弾丸発射は成功したと発表していました。世間に嘘をついてしまったわけです。このままでは、科学技術自体がただのリスクだと思われてしまうのではないかと不安になりました」
川口氏:「はやぶさプロジェクトが始まった頃、世間はバブル崩壊の真っ只中でした。しかし、夢を持った企業の皆様と、このプロジェクトをスタートさせることができました。現在も当時も不景気だったことには変わりありません。それなのに、今はどんどん投資に関する価値観が下がり続けています。このプロジェクトを通して、是非皆さんにそういった価値観を改めて欲しいんです」
川口氏:「アメリカはいつだって自分たちが世界一だとアピールしています。今度のNASA小惑星探査も、はやぶさを半ば無視して『自分たちが世界一』と豪語しています。肝心なのは、そのアピール先が外国ではなく自国であることです。日本はここが決定的にかけていて、最近はむしろ世界一を追うのはもうやめようというムードさえ感じます」
川口氏はとても冷静な方でしたが、氏が抱えている不安は相当大きいものなのだろうということが伝わってきました。日本は科学技術によって顕著に発展してきた国です。そこへの投資を減らすということは将来の日本の発展を閉ざしてしまうに等しい。日本が財政的に危機的状況なのは確かです。今日本が捨てるべきは本当に科学への投資なのか。私は答えは否だと思います。科学はミクロには、このはやぶさプロジェクトのように成功と失敗がはっきり見える賭けに見えます。しかし、実際には科学に携わる全員が知恵とリソースを共有し、少しずつ知見を増やして進歩を生む世界なのです。日本の科学技術のマスを小さくするということは、すなわち進歩を停滞させることであり、こと科学については、選択と集中が短期的に判断できないものなのだと思います。川口氏の発言からも、安易な判断に対する警戒が読み取れました。
ここまでのお話を聞いて、はやぶさがプロジェクトに携わる人々の情熱によって支えられていたことがよく分かると思います。そして、このプロジェクトが大変温かな人間味によって成されていたことをよく表したエピソードがありました。
川口氏:「カプセル分離後に、はやぶさが写真をとりましたよね?あれ、実は完全にボランティアなんです。司令室の有志が是非はやぶさに地球を見せてあげたいと言って、やってくれたんです。4年間凍結していたカメラが起動するのか疑問でしたが、無事撮影に成功し、スタッフも皆喜んでいました。」
川口氏:「再突入時の写真を御覧ください。紫色の大きい光がキセノンタンク。青いのが酸化剤です。ちょっと離れたところにあるのがカプセルです。これを見て、まるで子を守る母のように私には見えました。そして、回収されたカプセルに、なんとはやぶさとカプセルをつなぐケーブルがへその緒のように残されていたんです。誰もが溶けると思っていたので、驚きました。それに、不思議なもので、カプセルのビーコンは産声に聞こえました。」

はやぶさは、懸命に次の世代へとつながるカプセルを生んでくれたのだと思うと、大変感慨深いです。
川口氏:「私はただ自分の野望のために次のプロジェクトの予算が欲しいわけではありません。皆さん、この技術は世界一だと、私は胸を張ってここで言えます。私はアメリカで実際のアポロを見て胸を高鳴らせました。しかし、アポロは30万kmを航行したに過ぎません。60億kmもの距離を航行して帰ってきたカプセルは日本にしかないのです。私はこの成果を根づかせて、未来に自身を与えたいのです。これはまぐれなんかじゃありません。私の夢は太陽系を繰り返し航行できるシステムをつくることです。高い塔を建てなければ、新たな水平線は見えないのです」