『現象の花の秘密』の秘密 妄想解説
『現象の花の秘密』は平沢進が2012年に発表したアルバムのタイトルであり、アルバムの最初の曲のタイトルである。
翌2013年の年初には、このアルバムをフィーチャーしたインタラクティブ・ライブ『ノモノスとイミューム』が催された。
このライブはDVD化もされている。
平沢進は以前から、作品の解釈はリスナーに委ねるという態度を表明しており、作品の世界観が様々に解釈される余地を残しているところが、ファンの支持を受けている要素でもある。そんな中、『現象の花の秘密』及び『ノモノスとイミューム』には、平沢進の作品にしては珍しく、一見して分かりやすくリスナーの妄想を一方向に展開しやすいモチーフが見て取れるので、9年近くの時を経て、改めて自分の妄想的発見をここにまとめておこうと思う。
1. 『現象の花の秘密』の「現象」はカントに由来する
イマヌエル・カントは主に18世紀に活躍した哲学者である。カントは『純粋理性批判』という著作の中で、人間が事物を認識する仕組みを説いている。要約すると、カントは人間の外界の世界は、人間が先天的に持っている認識の枠組みを通じてしか認識できないと考えた。その際に、外界に存在している事物を「物自体」、人間の認識の枠組みを通じて捉えた事物の姿を「現象」とカントは名付けた。つまり、『現象の花の秘密』とは、人間が認識した花の姿についての歌だということになる。この「現象」は、「物自体」とは違う姿をしているが、人間同士では「現象」を客観的な知識として共有することができるとカントは説いている。よく用いられるのは色眼鏡の比喩。人間はものを見る時に、同じ色眼鏡をかけているので、色眼鏡をかけている同士では同じようにものが見えている。恐らく、平沢進がアルバム・ジャケットで虫眼鏡を持っているのは、これを暗喩したものだと思われる。カントの『純粋理性批判』はこうした議論を通じて、人間の理性の機能と限界を示した著作となっている。平沢進がこれをどう解釈したかは分からないが、恐らく『現象の花の秘密』は、真実を人間が認識することはできないが、あくまで「現象」ではあるものの、同じ知識を人間は共有することはできるということを示しているのではないかと思われる。『現象の花の秘密』が発表された2012年と言えば、前年の福島第一原発事故をきっかけとした原発擁護派・反対派に大きく世論が別れた時期でもあり、このアルバムでも反核を匂わせるようなモチーフが多々見られることに影響を与えていると考えられる。
2. 『現象の花の秘密』のアルファベットの意味
『現象の花の秘密』の歌詞には様々なアルファベットが登場する。これらは、歌詞に対応させると下記のように考えられる。
GはGravity(重力) 「(重力に)よって落ちる星」
TはTime(時間)「時の修練」
EはEnergy(エネルギー) 「(エネルギーによって)力をえた」
Ψは量子力学の波動関数 電子の存在確率を示している。「見えるままの花園のように眠る」のは「電子の存在確率は観察された時に初めて固定される」ことの表現
μは質量mの言いかえ 確率分布の平均値の意味もあり、存在確率とのダブルミーニングになっている
Cは光速度 「(光速度で)問う間もなく」 先程のEとμと合わせて相対性理論E=mc2を構成している
3. インタラクティブ・ライブ『ノモノスとイミューム』のストーリー
インタラクティブ・ライブ『ノモノスとイミューム』のストーリーを図にまとめると下記のようになる。これはライブ前に筆者が図にまとめたものである。https://twitter.com/xxgushaunxx/status/293371709862596608
ここではアルバム『現象の花の秘密』では登場しなかったライブ独特のストーリーが展開されている。注目すべきは人が変化させることができるとされている「サファオン」である。”サファオンには、個人のサファオンと集合的なサファオンがある”と公式サイトに明記されており、サファオンは無意識のメタファーであることが容易に想像できる。平沢進は精神を病んだことがあり、ユング派の治療を受けたことを2019年のゲンロンカフェのトークで告白している。ユングは集合的無意識を個人的無意識の対語として提唱し、個人的無意識よりもさらに深層に、民族や人類の心に普遍的に存在する無意識が存在すると論じた。アルバム『現象の花の秘密』におけるカントの「現象」のモチーフと、ライブ『ノモノスとイミューム』におけるユングの「無意識」のモチーフは、人間の認識の共有というものが、平沢進にとって大きなテーマであることが共通している。
こうして見ると、『現象の花の秘密』と『ノモノスとイミューム』は、入り組んだように見えて、一貫して一つのテーマを貫いているように見ることができる。どちらもテクノから離れたサウンドや舞台演出により、うまく新しさを演出しているが、人間の認識の共有というテーマは他の作品にも類似したものが見られる。平沢進の様々な作品を見る際に、一つの軸としてこの見方を持っておくと、より面白い想像の世界へとリスナーを誘ってくれるように思う。このアルバムとライブは、非常に分かりやすく、平沢進の世界観を楽しむ方法を示してくれているように、筆者には思えてならない。
ノンポリが来たりて何か言う
【小説】培養知性
1. イントロダクション
僕は大学院で生命科学を研究している。生命科学には、中学生の頃からぼんやりと憧れを持っていた。人間のゲノムDNAが全て解読されたと報道されたのが、僕が中学生の頃だったと思う。高校生のころ、自分の得意科目は英語と化学で、進路は3つ考えていた。英語教師、医者、薬の開発者。教師は自分に向いていなさそうだからやめた。医者はとてもじゃないが勉強量が足りないので諦めた。消去法的に薬の開発者を当面の進路に決めたのだが、それなりにやりがいのある仕事だと思えたので、勉強はそれなりに頑張った。
国立大学の薬学科には落ちてしまったが、私立大学の薬学科と生命科学科に合格した。普通に考えれば薬学科に進めばよいのだが、高校3年生の最後の半年、過去問を解く合間に読んだ製薬関連の新書には、どれにも「ゲノム創薬」という言葉が踊っていて、これからはバイオテクノロジー、生命科学こそが重要だ、と思うようになった僕は、生命科学科に進んだ。大学生になってからも、ゲノム創薬というそれなりに一貫したビジョンを持っていた僕は、大学の勉強を比較的楽しんでいた。
ご多分に漏れず、大学のサークル活動にもちょこちょこ手を出した。音楽が好きなので、DJやDTMをするサークルに入り浸った。サークルでは自然と運営メンバーの一人になり、大学への予算申請書に、「計算機を用いて人間を感動させる音楽が作れるかを研究する。シンセサイザーで作成した音をフーリエ変換し、その成分を分析する。人間の声の成分であるフォルマントを調整することで新しい音色を作成する」などとそれっぽく書いたら、かなり潤沢な予算が手に入った。申請書に書いた内容はつまり、「DAWソフトで作曲します。シンセサイザーで音を作ります。音声合成ソフトでボーカルを歌わせます」ということを難しく書いただけである。こんなもの大学生の浅知恵だが、学生の向学心を応援したいと思う大学側にはそれっぽく見えたのかもしれない。今考えると少し後ろめたい。
それらのキャッシュは全てDJ機材やDTM機材・ソフトに変わった。サークル部屋には高スペックなPCが置かれ、プロ仕様のDAWソフトが入れられた。一応、そこから音楽で食っていく人間が1人生まれたので、この投資には意味があったと言っていいかもしれない。かくいう僕は、適当に作曲を楽しみ、それなりに機材や音楽について語れるようになったところで満足し、特段努力してミュージシャンになるようなことは考えなかった。国立大学に落ちたときの経験と、僕の中でこの経験はダブる。僕はなんとも中途半端な性格なのかもしれない。
今、毎日時間を費やしている研究についてもそうだ。そもそも研究室選びからして、僕のパターンは繰り返しだ。メディアに取り上げられ、著名な論文を出しているような研究室はどこもスパルタで有名だったので、配属を避けた。心の中では、製薬会社に就職するんだから、アカデミックな研究ばかりやらされたら困るなどと言い訳していたが、その実は単純に熱中する決意が無かっただけなのだ。そこで、ある程度実績を出しながらも、ほとんどの先輩が製薬会社に就職しているM教授の研究室を希望し、入室した。研究内容は生命科学界でもある程度有名な癌研究だ。
僕はそこの研究室で修士まで進むことになったが、これも理系の開発職の就職にはほとんどの大企業で修士号が必要だからという理由がメインだった。研究はそれなりに楽しいが、自分に研究者としてのセンスが無いことは比較的早くに分かってしまった。論文を読むのは楽しい。他人の研究について議論するのも面白い。しかし、僕は致命的に実験が下手くそだった。生来の不器用っぷりで、大学生の頃からほとんど実験のテクニックは上達しなかった。なので、査読付き論文は全く書けなかった。同じグループの先輩が、共著者に僕を入れてくれようとして、実験の一部を任せてくれたが、失敗した。先輩の想定通りの結果が出なかった訳ではなく、実験自体に失敗してしまった。そのため、論文検索データベースで僕の名前を検索しても何も出ない。論文勉強会でだけ目立つ、頭でっかちな大学院生に僕はなっていた。口だけは達者だが、特に実績はない。それが僕だ。
ここまで記して、大学生にとって重要な要素が一つ抜けていることに気づいた。恋愛だ。生命科学科は普通の理系学科と違って、半分近くが女学生だ。そういうチャンスはあるんじゃないかと思われたが、僕は相変わらず中途半端な性格だった。女友達はできるが、彼女を作ることはできなかった。性欲は強いが、かといって風俗に行くのも嫌で、自慰行為に毎晩ふけっていた。そんな僕の人生を変えてくれたのは修士1年生の時の、とあるハロウィンパーティだった。
(次号へ続く)
この小説はカクヨムで連載することにいたしました。
続きは下記よりお楽しみください。
自己流ストレスマネジメント
理系サラリーマンとして5年間働いてまいりました。不思議なもので、5年も働いていると、自分の働き方に武道の「型」のようなものができてきます。
その中でも、今日は自分が日頃行っている職場でのストレスマネジメントをご紹介したいと思います。
■自己流ストレスマネジメント1ー正しい上から目線
これは既に色々な所で使われている考え方のようで、かく言う私も知人からの受け売りです。
誰かから心ないことを言われた時、グサッとくる一言を言われた時、このように考えます。
「この人は私にこんなことを言わねばならないほど辛い状態なんだな」
「この人はこれまで、人の気持ちを無視せなばならないほど、厳しい状況でやってきたんだな」
「この人はこれまで、こういう時に人の哀しみを伝えてくれる優しい人に恵まれなかったんだな」
などと上から目線で考え、
「だったら、私がなんとか助けてあげなければ」
とつなげます。
こう考えると、自然とその人とのコミュニケーション回復や、仕事の問題解決のために、能動的に自分のリソースを割けるようになります。
■自己流ストレスマネジメント2ー病的ポジティブ
対人関係に限らず、何か失敗をしたとき、より悪い状況をベンチマークにして、安心を得る考え方です。
「ミスを今指摘してもらえてラッキーだわ〜!もし、明日だったら、それまでの時間が完全にムダだったわ〜!」
「データの欠損が2個だけで良かったわ〜!100個だったらテストそのものをやり直しだったわ〜!」
のような感じです。
ミスをした時は、とにかくすぐにフォローを頼むべき人たちや、アウトプット先の人たちに状況を伝達することが重要です。時にはミスをした報告に勇気が必要ですが、内心上記のように開き直って、さっさと謝って一緒にミスを取り返すためのアクションを取り始めましょう。
■自己流ストレスマネジメント3ー仲間探し
自分が辛い状況に追い込まれた時、理不尽な責任を取らねばならない時などは、それまで周りにいたはずの沢山の人があなたから離れ、関わらないようにすることでしょう。急に自分が孤独になり、それまでが順調だったならなおさら、自分は実は無価値だったのではないかと不安になるものです。
しかし、そんな時でも頑張って責任を全うしようとする限り、あなたを支えてくれる人が、必ず現れます。
だから、頑張り続けましょう。
その辛い仕事は、本当に心からあなたを助けてくれる、そういう仲間を探すために与えられたのだと考えるのがこの「仲間探し」です。
もちろん、周りに残ってくれる人も、打算的なずるい人の場合も有り得ます。最初はあなたを否定しておいて、後になって自分にうまみがあると分かったら、急に応援しだしただけかもしれません。
しかし、ぶっちゃけ、ビジネスの世界ではモチベーションよりも結果です。あなたが成し遂げるべきことをサポートしてくれるならば、どんな不純な動機だろうと、乗ってくれたなら味方として引き込んでしまいましょう。
打算的な人だろうと、あなたに貢献してくれていることには変わりありません。そこには敬意を払うべきだと思います。
ただし、あなたにとっての仲間が誰なのかは、他の誰が決めるものでもない、あなた自信が決めることです。
見つけた仲間は大事にしていってください。
■自己流ストレスマネジメント4ー最後はやっぱり休みをとること
ストレスがかかる状況だろうと、どんな時だろうと、仕事に関しては、実はやるべきことは同じです。
「自分がやるべきことをやり、関わる人に貢献し、新たな価値を生み出す」
しかし、我々は人間なので、そんな単純には動けません。
辛い状況に追い込まれた時は、自分の身を守ることに精一杯になってしまいます。
そんな弱ってしまった自分を少しでも早く前に向かせるために、自分流のストレスマネジメントを身に着けておくことは有効だと思います。
ただし、無理は禁物です。どんなに工夫をしても人間にはストレスが溜まるものです。
そんなときはすぐに休みをとってリフレッシュしましょう。気が進まない人も、休みをとることは仕事の一つと割りきって良いと思います。
仕事が皆さんの命を削ってしまっているとしたら、そんな不健全なことはありません。どこかのCMではありませんが、世界は皆さんの仕事でできていると言っても過言ではありません。1人でも多くの方が楽しんで仕事をできるように応援しております。
この記事が何かのインスピレーションになれば幸いです。
亡くなった親戚との遭遇
3月初め、母親から電話が入りました。
いわく、母の従兄弟Tさんが亡くなったとのこと。そして、身寄りのないTさんの遺品整理を妹のMさんがしているとのことでした。母とMさんはほとんど面識がなかったのですが、Tさんがなくなったことをきっかけに、よく話すようになったそうです。かくいう私はTさんともMさんとも全然面識がありません。なぜ、そんな私にこの話をわざわざしてきたのか。
母が言うには、Tさんは、中央大学でフランス文学を専攻していた3年生のとき、唐突に「相対性理論を勉強したい」と言い出し、独学で物理学と数学を勉強して、それが功を奏して数学の予備校講師を生業としていたそうです。Tさんの部屋には大量の物理学や数学の本が残されているらしく、理系院卒の私に、もし気に入った本があったら是非もらって欲しいとMさんが言っているとのことでした。
これも何かの縁だろうと思い、今日、Mさんに案内してもらって、仕事終わりにTさんの部屋へ行ってきました。そこは想像以上の不思議な空間でした。
入ってすぐ、部屋を見た時に「Tさんがどんな人だったかが分かる」と、とても親近感を感じたのです。大量に備蓄された同じ銘柄の野菜ジュースとお茶。部屋を埋め尽くさんばかりの整然とした大量の本。42インチの液晶テレビと24インチのブラウン管テレビが並んだリビング。綺麗に整頓された衣服は種類と柄ごとにクローゼットにしまわれていました。間違いなく、ストイックで凝り性な人だったのでしょう。そして、本棚には科学の本だけでなく、思想関連や社会学関連の本も沢山あり、人間に対する興味を芯に持っていた人なんだということも感じました。Mさんに感想を述べると「まるで会ったことがあるみたいに兄を分かってる」と言われました。
本を一冊一冊見せてもらうと、その蔵書の一つ一つにTさんのストーリーがありました。Tさんが読んだ本には、その最後のページにしおりが必ず挟んでありました。そして、自分が疑問に思ったページの一つ一つにもしおりが挟んであるのです。Tさんが何を思いながら本を読んでいたのか、まるでそこにいるかのように伝わってきました。
本は学生時代のものから亡くなる直前のものまで、ほとんど残されていました。そんな中、私は本棚の奥から一冊の本を見つけました。アインシュタインの自伝「自伝ノート」。発行されたのは1978年。その本には、Tさんが通っていた30年前の中央大学の生協のカバーがかけられたままでした。
「全然気づかなかった。きっと、こういう本をきっかけにして、兄はアインシュタインに憧れていったのね」
Mさんは感慨深そうに本を眺めていました。私はこの本が遺品として処分されてしまうことに深い哀しみを感じました。せっかく、遠い親戚に触れることができたのに、それが失われてしまうような、言いようのない哀しさでした。
「もし良かったら、この本を僕に譲ってもらえませんか。誰かの手に渡らせるようなことは決してしません。もし、この本に会いたくなったら、いつでも連絡をくれればお返しします」
Mさんは快く本を譲ってくれました。
「ホントはね、今月で全ての遺品を整理してしまおうと思ってたの。でも、こうやって泊まりこんで部屋の片付けをしてるとね、残されたものの一つ一つが兄を形作ってるように感じられたの。兄が亡くなってしまったってことは、これは二度と作られることのない部屋なのよね。そう考えたら、一つ一つをきちんと自分が見て、納得してから処分したいと思って、実は部屋はもう3ヶ月私が借りることにしたの。それで、ここのものを処分するかどうかは、また3ヶ月後にきちんと考えることにしたの」
私はMさんに心から賛成しました。初対面の私でさえ、まるで会ったことがあるみたいに、Tさんの人柄が感じられる部屋でしたから、ご家族ならその思いはなおさらのことでしょう。Tさんはまるで誰かのために準備してたみたいに、生きていた痕跡を残していました。信じられないことに、部屋にある蔵書をどこで注文して、いくらで買ったか、リストや納品書を全て年代ごとに保管していたのです。家計簿も毎月つけていたものが全て残っていました。Tさんを知る作業は、いくらでも続けることができそうでした。
でも、Tさんは既に亡くなってしまった方。別れをきちんとしなければならないことも事実です。一端の出会いを感じただけの私にとっては、その苦悩や辛さは、想像をすることも難しい。死してなお、出会いを感じさせてくれた遠い親戚から、生きていることの大切さを学んだような気がしました。
【感想】岡田斗司夫ゼミ1月4日号 戦闘思考力入門
岡田斗司夫のニコ生が面白いです。
岡田さんの頭の回転の素晴らしさは、朝日新聞の「悩みのるつぼ」という、読者の悩みに回答するコラムを読めばすぐに分かります。
「悩みのるつぼ」の記事は岡田さんのブログで公開されています。
http://blog.freeex.jp/archives/cat_10026125.html
この「悩みのるつぼ」で見せるような岡田さんの頭の回転を、岡田さん自身は戦闘思考力と呼んでいます。
この戦闘思考力を用いて、どのように悩みの回答を作るのかを実演したのが、1月4日のニコ生岡田斗司夫ゼミです。
http://nico.ms/lv204102097
オススメは46分頃からの悩み。
18歳 浪人生
特に将来、何になりたいでもなく、ただ行きたいという理由だけで京都大学の法学部へ進学すべく勉強してきました。ですが最近、以前のような気持ちでペンをとることができないのです。幼いころにみた、アニメ業界で働きたい、という思いが心を染めています。これは逃げなのかもしれません、私はどうしたらいいのでしょうか。このままでは、どちらも不本意に終わってしまいそうで、怖いです。
まず、岡田さんは「ペンをとることができない」「思いが心を染めています」という文体から、この質問者は悩みに酔っているという状態を読み取りました。
つまり、質問者は悩んでいる状態に実はそんなに困っていない。
そして、「京都大学法学部」はプロセスなのに対し、「アニメ業界で働きたい」はゴールであることに着目します。
つまり、京都大学法学部を卒業してアニメ業界に入ればいいだけな訳です。
問題は、このことに質問者が気づいていないことです。
なぜ質問者はそのことに気づかないのか。
質問者は努力が足りなくて京都大学法学部に落ちるということから逃げたくなっているのですね。
そのため、本来は二項対立ではない、プロセスとゴールという無茶な対立軸を作り出して、自ら悩みに落ち込んでいた訳です。
「京都大学法学部」は努力すれば到達可能な目標、「アニメ業界で働きたい」は運や才能に大きく左右される目標です。
アニメ業界の方にチャレンジすれば、言葉は悪いですが「運がなかった。才能がないと気づけた」と言い訳ができます。
無意識に、そちらの方に逃げようとしていたのですね。
18歳だと、周りから、目標を持て、夢を持て、という圧力があるかもしれませんが、そういうものが決まっている人は、実際にはとても少ないです。
先々の目標に囚われず、自分が努力で到達可能なところを目指してから、次の目標を探していけば良いのではないでしょうか。
この人みたいに、本来は対立していないものを対立構造で考えてしまうことで、自ら悩みを引き起こしていること、あるんですよねえ。
人事とは思えず、感情移入して見てしまいました。
ブログ再開します
皆様、明けましておめでとうございます。
なんと2年以上ブログを放置してしまいました。
唐突ですが、新年が始まったことだし、また少しずつブログを書いていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
2年も放置していると、客観的に自分のブログを見れるようになるもので、まあ、オリジナリティを出そうと、プロフィールも内容も理解しづらいものになっているなあ、と改めて感じましたw
なので、内容も少しずつ手を加えていこうと思います。
何気なく書いた就活に関する記事(生命科学専攻学生が見た就職難 - 思考変性)の反応が良かったことにしばられて、ちょっと社会派気取りになっていたところも見られます。
今後はあまりジャンルにしばられず、書きたいことをつらつらと書いていこうと思っています。
もちろん、応援も叱咤激励も質問も、コメントは歓迎いたしますので、お気軽に反応をくださいますとありがたいです。
では、本年もよろしくお願いします。